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わしのとまり木さんの流氷日記

2013年3月31日

1985年3月8日の北浜

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今シーズンも流氷日記をご覧頂きありがとうございました。私の投稿もこれで一旦終了させていただきます。
北海道移住を決意し、2004年5月からウトロのホテルでのアルバイトを経てその年の11月に網走市内のアパートを借りて網走市民としての生活がスタート。
2009年春に市内から郊外の北浜に移転し、昨年11月に小さな素泊まり相部屋の宿「わしのとまり木」が完成。今年の流氷シーズンにオープンし、多くのお客様と触れ合いながら北浜から見た流氷を中心にお伝えしてきました。

今シーズン最後の流氷日記は私が北海道に惚れ込み、移住、そしてこの網走に骨を埋めると決めた原点となった初めての北海道旅行で訪れた時の北浜をご覧頂きたいと思います。
1985年3月8日の北浜の流氷です。


古い上にいい加減な保存状態だったネガフイルムを自分のスキャナでデジタル化したため、大変汚い画像ですがご容赦下さい。

私の人生初の北海道旅行、目的は道内を列車で周遊しながら流氷とタンチョウをこの目で見たい!というものでした。
当時はまだ釧網線以外にもオホーツク海沿岸を走る路線はいくつもありましたが、やはり釧網線北浜駅がオホーツク海に一番近い駅として既に知られており、先ず最初に北浜駅を目指し、流氷を見てから道内各地を周るという旅程を組みました。

そして1985年3月6日上野駅23:05発青森行き寝台特急ゆうづる9号で出発、翌7日に青森で青函連絡船、函館からは倶知安周りの札幌行き急行ニセコと乗り継いで7日の夜に札幌に到着、更に札幌22:00発網走行き夜行急行大雪に乗り継いで翌8日6:44に網走駅に到着、すぐに6:48発の釧網線に乗り換えました。
この釧網線の列車が桂台のトンネルを抜けた瞬間目に飛び込んできたのは網走港を覆いつくし、更に水平線まで広がる大流氷原! 初めて見る流氷に言葉を失いました。

列車は7時過ぎに北浜駅に到着し、下車。
北浜駅に降りて最初に撮ったのがこの写真です。当時既に北浜駅は無人駅で、現在も北浜駅でレストランを営業している「停車場」さんがあったそうなのですが、朝早くて営業前だったこともあり、ちょっと覚えていません。

この写真の看板は現在はありませんね。
そして現在北浜駅を訪れる人が必ず昇る展望台が出来るのはもっとずっと後のことです。

海岸に下りてみました。初めて訪れた北浜、接岸してから長く動かなかったのでしょう、更に雪が積もって、どこまでが陸地でどこからが海なのか、本当に分かりませんでした。

当時はもちろんインターネットなんてありません。でも私はこの時期の網走に行けば雪と同じように流氷が見られると信じて疑いませんでした。見られないこともあるなんて全く考えもせず、期待以上の流氷の凄さに感動を通り越して、ただため息をつくばかりだったような覚えがあります。

この1985年の流氷について網走地方気象台のホームページで調べてみました。

流氷初日1月6日、 流氷接岸初日1月20日、 海明け3月19日、 流氷終日4月19日、 流氷期間104日

理想的な流氷状況だったんですね。
この時の旅では根室でも流氷を見ることが出来ました。

この時北浜で見た流氷は水平線の彼方まで流氷原が果てしなく広がり、青い海面は全く見えませんでした。
この凄味のある流氷に魂を揺さぶられてから19年後に網走に移住することになり、シーズン中は毎日流氷を見て暮らしているわけですが、水平線の彼方まで埋め尽くす流氷の姿、そして青い海面が所々表れている状態の青と白のコントラストの美しさ、また海面を漂う流氷群が見せる常に変化する模様。
本当に飽きることは無いのです。
今年の流氷シーズンは終わりましたが、また来シーズンもより多くの方々に流氷の素晴らしさを感じていただきたいと思っています。

これから網走は春を迎えます。フクジュソウの後、エゾエンゴサクやアズマイチゲ、ミズバショウといった美しい花が咲き出し、多くの夏鳥たちがやって来ます。四季それぞれの景色が劇的に変化するのが北国の素晴らしさです。
「わしのとまり木」は4月7日まで冬季営業の後、4月26日から夏季営業を始めます。
網走の自然については「わしのとまり木」HP内にあるブログ「オホーツクだより」で引き続きお伝えしていきますのでどうぞご覧下さい。

今シーズンも流氷日記をご覧頂き本当にありがとうございました。


網走自然ガイド&旅人の宿  わしのとまり木 金指 功(かなざし いさお)
わしのとまり木HP  http://inspot.jp/kanazashi/